徳川家康公の母君
於大の方が手を合わせ、
親しく拝み続けた念持仏を
本尊として安置した御堂
月参堂 善光寺は徳川家康公の母君、於大の方の念持仏を本尊として、慶長七年(1602年)に開創されました。念持仏とは、日頃より親しくお参りが出来るようご安置をする御像を言い、於大の方は、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊像を念持仏として、肌身離さず拝んでいらっしゃいました。於大の方は、家康公とご自身の現世・後世安楽を願い、この念持仏に手を合わせていたと伝わっております。この念持仏が信州長野の善光寺の御分身である一光三尊阿弥陀如来像であったことから、元々の寺名である縁受院から、明治に入り「月参堂 縁受院 善光寺」と名をあらため、今日に至ります。
- 宗祖
- 法然上人〔源空〕(1133〜1212)
- 本尊
- 一光三尊阿弥陀如来
- 教え
- お釈迦さまがお説きになった『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経をよりどころといたします。
- 総本山
- 知恩院
- 大本山
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- 増上寺
- 金戒光明寺
- 百萬遍知恩寺
- 清浄華院
- 善導寺
- 光明寺
- 善光寺大本願
宗旨
善光寺は浄土宗の寺院として、お釈迦さまのお経典を正しく頂く宗祖法然上人の御教えを宗旨としております。「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えるものを、阿弥陀如来さまは決して見捨てず、この世は導いて下さり、臨終の時には西方極楽浄土にお救い下さいます。
浄土宗の系譜
善光寺は傳通院塔頭寺院として、浄土宗第七祖聖冏上人を開山上人と仰ぎます。
また善光寺は、明治期の混乱する日本仏教界の先頭に立ち「明治第一の高僧」と讃えられた福田行誡上人とも御縁が深くございます。
行誡上人が伝通院住職であった際に、於大の方の念持仏を護る月参堂として、善光寺は「月参堂」と記された扁額、そして上人のお召しになっていた法具「七条袈裟」を賜りました。
浄土宗宗祖 法然上人より脈々と続く御教えを、歴代住職は所縁ある方々の導きの元で護持して参りました。
傳通院との由縁
於大の方は法名を「傳通院殿」と号しました。その名前を由来として、於大の方が葬られた寺院は「無量山 傳通院」と称します。善光寺坂の上に位置し、月参堂 善光寺は元々、傳通院の堂宇の一つでありました。於大の方の念持仏を安置するにあたり、無量山傳通院塔頭寺院として開創されます。
月参堂
古来より月参堂と呼ばれるのは、ひと月に一度のお寺参りを勧めるとともに、仏さまを月に喩え、仏さまへの御参りを勧める御堂であることに由来いたします。また傳通院開山であり、浄土宗第七祖 聖冏上人が繊月上人と呼ばれたご縁もあり、ここ善光寺でも開創以来、月という一文字を大切に月参堂という名称でも親しまれておりました。